【ネタバレ】「ドリアン・グレイの肖像」2015/9/4夜 感想
優馬くんと演出家グレン・ウォルフォードのコメントなど。
原作も映画もあらすじも目を通さず、まったく情報のない状態で観に行きました。
芝居が始まって最初に感じたのは、芸術家が若い青年の美に魅了されるという点で、「ベニスに死す」っぽいな、ということでした。
しかし、その美の概念を具現化したものとして舞台上に掲げられる、この話の核である“ドリアン・グレイの肖像”が、私は1階中列で観たのですが、デカすぎw大きすぎるが故に芸術作品ではなく、大道具としてしか見られませんでした。後ろの方の席だとあれくらいないと見えないのでしょうか?
この場面での優馬くんは純真無垢な美青年なので、若干バカっぽいというか、こんな浅い演技する人だっけ? とちょっと不安になりました。しかし物語が進むにつれ、徐々に豹変していくその前フリだったと気づくと、振り幅の広さに感心しました。
仲田くん、最初気づきませんでした(汗)
あまり詳しくないのですが、今まで演技の仕事ってそんなにしてないと思うのですが、堂々としすぎじゃないですか!? 今後、機会があれば彼の演技はまた観てみたいと感じました。
脚本は、観念的な会話が多い場面は瞼が重くなりました。
ドリアンがした様々な背徳的な行為を説明台詞で片づけてしまうなら、それを描くことに時間を割いてもよかったのでは? という気がしました。原作や映画でどう処理されているのかわかりませんが。
演出で疑問に感じたのは、阿片窟のシーンで舞台の端しか使わなかったことと、メイドがなぜ男なのかということでした。前掲の演出家のコメントを読むと、男色の趣を出したかったのでしょうか? それにしては俳優の体格がよすぎて、コントみたいだったので。
絵が醜く変貌していく場面は、「サイコ」を思い出しました。あのシーンだけだけど。
終盤の優馬くんの鬼気迫る演技は本当に素晴らしかったです。
エンディングで再び最初の美しい肖像(特大)が出てくるのですが、最初に見たときの(デカいわwww)という感覚ではなく、(美しい……)と素直に受け入れていました。物語を通じて優馬くんがドリアンの内面の醜さを表現できていたからこそ、顔面の美しさとのコントラストがより感じられるようになった故だと思います。
しかしこの終わり方、落語っぽい。話自体はシュールなのに、最後だけストンと腑に落ちる感じ。 哲学的な芝居を観た後特有のもやっと感がなくていいんですけど。意外だったなと。
余談ですが、社長が家にこのサイズの優馬くんの肖像画飾るって言い出しそうwとも思っていました。そして、(やっぱり勝利くんも同じ系統だな)とも思いました。社長の好みわかりやすいぞ。何年か後に勝利くんがこの役やってても不思議じゃない(このサイズで顔面晒すのに耐えうる美貌という点で。演技力云々は抜きで)。