不在の存在
人は二度死ぬという まず自己の死 そしてのち 友人に忘れ去られることの死
少クラ生放送にいたから夏はこの括りかな~などと呑気に思っていたら、どこにもいない。
ジャニワ以降、雑誌と少クラ、Mステくらいしか稼働していないと思うんですけど、メディアにしか出ないっていう契約なのか? レベル。
そんななか私も大人しく帰りを待っているわけでもなく、色んなコンサートとか舞台とかに行っています。
行ったらそれなりに楽しんで、沸くんだけど、それはその場限りで。
映像にしろ直接にしろ今まさに見ている人を反射的に魅力的だと感じるのは当たり前のことだと思います(あまりにそのスパンが短いと、無節操とかミーハーとか言われるのでしょうけど)。でもそういう人は自分の視界から外れたら、その存在は無になります。
一方、担当というのは今ここにいなくても、その不在という存在を感じ続けることなのかなあと思います。
いるのかいないのかいつも分からないような人はもちろん、今は引っ張りだこの人でもそのうち露出が減る可能性もある。そのとき、その不在を存在として認識することができるのが担当なのではないか、ファンとか推しと、担当の線引きはそういうことなのかなあと感じています。
でもやっぱりしんどいものはしんどい。
KAT-TUNは今グループの活動を休止していますが、テレビでグループやメンバーの名前をちょいちょい出したり、webを活用したり、不在の感覚を埋めようと積極的に行動してくれているのでますます最高のグループだなって思います。
Jr.もwebに連載ある人は本当に羨ましい。そういう人はユニットがあって生存確認の必要がないからそもそも羨ましいけど。Jr.が全員載れる専用の媒体があればいいのに。
A.B.C-Zの河合くんてそこにいないJr.の名前をよく出すじゃないですか。本人は目先の笑いがほしいだけなんだろうけど(言い方)、あれに救われているJr.担はたくさんいるはず。すごく羨ましい。
残り少ないけどどこかの見学に姿を見せてほしい。それか雑誌に載ってほしい。せめて、他の人の話題の中に名前だけでも出てほしい。
不在の存在に押し潰されないよう、ささやかな希望は持ち続けていたいものです。